raisineの夏休みその1、広島帰省編
こんにちは。
超絶お久しぶりです、raisineです。
いやーお久しぶりですねー
約2ヶ月ぶり!
このブログの存在を忘れていたわけではありませんよ〜
Wi-Fiがない場所に行っていたもので、
更新したくてもできなかったのです!!!
言い訳はさておき、今回は需要のなさそうな「raisineの夏休みその1、広島帰省編」をお送りします。
8月3日に夜行バスで広島へ帰省しました。
4ヶ月ぶりの広島は、懐かしかったです。
程よく発展したまち、やっぱり好きです。落ち着きますね♡
ふるさとパワー、実感しました。
帰省して友人と映画を観に行ったり美味しいハンバーグを食べに行ったり
まあ平凡な帰省大学生らしい日々を過ごしました。
そして迎えた帰省最終日。
私は、今回の一番の帰省目的を果たすために、朝4時(ごろ)起きて車で家を出ました。
一番の帰省目的、それは
8月6日の平和記念式典参列です。
広島で生まれ育った私は、小学校入学以来毎年夏が来るたびに平和教育を受けてきました。
平和教育とは難しいもので、子どもたちが幼い頃から大人たちが推し進めていっても、平和教育の存在が当たり前になりすぎてそのありがたみを感じられなくなってしまうし、
かといって平和教育をしないとなれば、過去の惨劇を知らずに子どもたちが育ってしまう。
色々な課題を抱える平和教育ですが、
まあそれを高校卒業まで受け続けてきた私。
大学進学を機に広島を出ましたが、それでも8月6日の平和を祈る日を広島で迎えたく思い、帰省することにしました(3日間)。
朝6時過ぎ。
画像左中央からグイーーンと伸びている人の列。
この写真を撮った私は、L字に曲がったこの列のほぼ先頭にいたのですが、
確か5時半頃から並んでいたのですが、
みてくださいこの列!人!!
この後さらに列は伸び続けます。
皆一般席に座るために並んでいるのです。
ちなみに私と母の後ろには、東京から来られたツアーの方々もいらっしゃいました。
平和祈念資料館屋上には、各テレビ局のカメラマンたちが何も遮るものがない炎天下の中頑張って待機していました。
お疲れ様でございます。
6時半すぎ、ようやく一般席への入場が開始されました。
私たち親子はまあまあ前側の席に座ることができました。
通路を挟んで隣の席は遺族席で、喪服の方々の姿が目立ちました。
聞く話によると、私の母の祖母と叔母も原子爆弾によって亡くなっているそうです。
名簿に名前も載っているそうです。
このように、数代前から広島に住んでいる人の多くは、ルーツを辿るとほとんどの人が遺族席に座れるわけです、強引に言えば。
市や県がどのように遺族を遺族と認定しているのかはよくわかりませんが、
先ほどの平和教育の課題のように、遺族や後遺症の認定など72年経っても解決されていない課題が多いことを改めて感じました。
その後の式典では市長、県知事、総理大臣、子ども代表、国連の方など、多くの方がスピーチをされていました。
それぞれの感想については割愛します。
子ども代表って、私が小学生の時は(今はどうか知りませんが)、まず学校の中で作文を書き、教員が1人を選抜してその子を代表者会議的なのに参加させて、その後さらに絞って男女1人ずつの子ども代表を決めます(確か)。
まあ最初の時点で子どもたちが書いた作文を、ある意味仕方がないけども大人が選抜していく。その後の子ども代表もおそらくほぼ大人が介入して作った文章を何度も練習し立派に読み上げる。
まあまあ、大人が介入しちゃうのは避けられないですけど、
んーーー
何をもって子ども代表なのか。
なんかふと考えちゃいましたね、アウトプットできんけど。
考えがまとまったら、また書くかもしれません。書かないかもしれません。
そんなこんなで今年の8月6日も終わりました。
来年もぜひ、参列しようと思います。
以上、「raisineの夏休みその1、広島帰省編」でした〜